【感想】Poems in Code−ジェネラティブ・アートの現在/プログラミングで生成される映像

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https://ccbt.rekibun.or.jp/events/poemsincode

  • コードによって生成された意味がない感覚的な網膜刺激は退屈だ。
  • コンピュータによる視覚表現の実験という側面しか読み取れない作品は退屈だ。
  • 恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーションの一種であり、美術作品としてよいと判断できる作品はその場で見た中では1つだけだった。
  • それは台湾の伝統的な文字が中国の文字に置き換わっていくことに着目した作品だった。中国の影響と台湾の文化的な危機をプレゼンテーションしていた。
  • 文字の変化を現すグラフィックデザインが優れていた。
  • 台湾の街を JavaScript で再現しており、コーディングプロセス、コードの実行によるグラフィックの構築過程を見せていた。この点他の作品と異なっていてプログラムを使っているという側面をわかりやすく伝えていた。
    • 職人プログラマー的な部品のつくり方をしていた。この辺はプログラマとしてより見てみたいと感じた部分。
    • 時間経過が軸にあり、それが内容をつくりだしている、街の歴史、国の歴史、コードの実行プロセス。
  • コードで生成した、というならばリアルタイムで実行されているコードが何かを生成しているべきで、画面収録した映像を繰り返し再生しているようでは、プログラムを用いることによる特徴や本質から離れてしまっているのではないか?録画映像の再生とコードによる映像生成は違う。観客へのプレゼンテーションの工程まで、生成にこだわった作品が観たかった。それはみれなかった。
  • アート作品の経験においては、概念や言語的な思考は最優先ではない、という考えはある。これは文脈なしに成立しないゲームである現代アートではプロトコル違反とされがちかもしれないが、瞑想的な経験を重視する観点からはそうなる。極端にいえば言語的な思考は破壊すべき。そして芸術という概念やフレームワークも極論不要であり障害である。アートにまつわる概念セットの全体が障害物だ。
  • 他方で、実際に展覧会というメディア装置の中にはいり、アート作品を鑑賞する場合、瞑想的にはなれないし、そのような鑑賞も想定されていないので、結局は私も文脈とコンセプトメイキングと表現方法などを読み取り、解釈し、評価したりする。
  • それがすごくおもしろいとはやはり思えないが、それでも足を運んでみようと自分が思うくらいのテーマや取り組みは含まれている。
  • だから、こうして感想を書いているんだろう。
  • 自分ならどうつくるのか、あの場で作品をみせるという課題を自分に出したら、どう答えるのか?そこをやるべきだ。