身近な人の生活空間に絵を飾ること。前提として自分と他の人たちの関係性があり、ストーリーがある。お互いの人生の物語の一部として絵がある。そういう絵は異なる人生のストーリーの交差点になる。こういうことが、文化だの芸術だの歴史だの抽象的なことよりも第一に大切だと今は思う。抽象的というか、これらはインフラだと思う。必要だしすでに一応基盤として存在している。具体的には画材を買えるとか絵を飾ってみるという慣習があるというような意味で。でもその基盤の上で生きている人間として何をするのかに意味がある。小さいと言われるようなストーリーに意味があり、それは交換不可能な関係性の中にある。
絵画を実存から切り離し機能的な観点で捉えてみる。絵画は、何であり、どこで、どのように機能し、どのような価値を生むのか。こう問うほうがいろんな視点を引き出せる。
絵画は日常の生活空間の中で作動する。絵画は人の記憶の領域で作動する。絵画は贈り物である。絵画はインテリア用品である。絵画は商品である。絵画には誰かの人生に変更を加える機能がある。お金と交換ができる、お金以外の物事との交換ができる、コミュニケーションができる、居住空間に楽しみや変化を与える、人の気分を変化させる、などなど。芸術やアートの制度を前提として考える必要はない。
実存の問題を絵画をつかって解く必要はなく、例えば、ただ歩くだけでも歩き方を修行すれば解決できると思う。
とりあえずは実存とかと切り離してプライベートな領域で絵画に備わっている機能が何かをテーマにして、実際に絵をつくってその先を考えてみるというのがいいかもしれない。