絵に関してのメモ

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  • 壊れた傘のドローイング
    最近書いていると出てくるフォルム。幾何形態だが傘がすぐに壊れるように、折れ曲がったり、穴が空いたり、する。ただその形に興味が向いているのだと思う。傘というものになんの意味もなく、物語もない。風景写真と組み合わせる、これは?ただくっつけて遊んでいるだけだと思う。ただ構造物として傘の造形的な要素は使いやすい。変化もつけられるし。傘はフレームと布からできていて絵画のつくりとも近い。ちょっと結びつけてみる分にはいいけどそれ以上のアイデアはない。

  • 即興的な、抽象的な、ドローイング
    2018 年ごろからちょこちょこ書き始めた単色のドローイング。言葉やイメージは使わず、手、運動、素材の物質感でできていく。なにでもない抽象的な痕跡から成る。これはなんなのかというのはよくわからない。リズムが記録されている、リズムを紙に定着させていく運動があって、それはそれでやっていると面白いとも思う。ただ、何かをインプットして出力されるのでもなく、言葉による思考があって出力されているのでもない。これをやっていてもどこにも展開しない気もするし、ここから展開させることはできる気もする。抽象画家の作品の生成のされ方、そこにある思考を読み取っていくことはした方がいい、あらためて。ただその後自分がそれをしてどうするのか?どうもしなくていいのだけど、紙にそういうものを描き、結果できたものについて、価値を提示につながるようななんの特徴も、優位性も、機能性も、ない気がする。むしろなくてよいのだけど、それは他人には伝わらず、他人にとっての価値にもならない。

  • シンプルな手順でできあがるドローイング
    イメージ、想像するというステップが入ってこないように、運動の単純なルール、判断のルール、だけで絵をつくる。そうするとそのものでしかないような何かになる。なにかを表している絵にはならない、これはよい、と思える。

  • チャイルド・ハッサムの絵
    軽やかで、うまい、みていて気持ちのいい印象派の手法でつくられた風景画。けっこう面白い。シンプルな光を捉える力、技術力がよい。特別な何かはないかもしれない、あまり美術史に出てくる名前ではないけど、ただのうまい印象派の手法で描かれた絵は魅力はある。こういう絵も描いてみたい。

  • 小松美羽
    作品はおもしろい。でもライブパフォーマンスは笑ってしまう。お金稼ぐのに使われている感ある、絶対プロデューサーいるし。

  • 自分の手で描いてできる絵と AI が出力する絵(画像)の違い。触覚の有無、体の有無、時間の有無、プロセスの経験の有無。AI は生成できるが鑑賞はできるか?鑑賞するという経験にとっては鑑賞対象を人が生成したか AI が生成したかはどちらでもよいかもしれない。制作するという経験は AI*+だけ++では足りない。経験は人の側にあるから。

最近疲れているのに、夜寝るのが遅くなるからよくない。