タイトル通り。何も解説しない、何も論じない個人の感想。
家福の苦悩について
家福は恵まれているのに絶望していて私は全く同情できず共感もできない。中年の勝ち組男性が自分の弱さや心の痛みを受け入れるとか、かなりどうでもいい話だと私は思った。家福の苦悩は贅沢な世界を生きる人のくだらない悩みだとしか思えない。心が弱った中年男性が少女のような若い女性との(ピュアな?)関係によって自己受容に至るとか気持ち悪いしダサい。得たものを失って悲しんだり怒ったり苦しんだりしているのは自業自得ではないか?
みさきの変化について
登場してからずっと、むすっとした冷たい表情だったが、最後にはちょっと優しそうで前向きな表情に変化した。その微妙なほっこり感はいい感じだった。みさきが仕事以外で車を運転しているシーンは最後だけだったと思う。最後のシーンでだけみさきが自分ひとりで気楽に車を走らせている。で、それが家福の車である。なんか硬い壁がなくなって気楽な気分のいいシーンだったという記憶がある。
映画の構造的な側面について
ストーリーよりはテクストの表現方法の多様さが映画を成立させる要となっているように思える。テクストの表現方法がたくさん示されるので、テクストの意味がより読者に意識される。大体の映画はテクストの表現方法はシンプルなので意味もなめらかに流れていくのだが、この映画ではテクストの意味はゆっくりと現れてくる。読者にテクストの意味に対する注意深さを要求する映画だ。そう思うと、テクストを読むとはどういう行為か、を問うている批評的な作品に思えてくる。
この映画はインテリ映画オタクとか映画批評家にうけるつくりになっているんだろう。映画に複数の文学作品を組み込んだりしていてハイコンテクストだ。また、映画自体が、テクストを読む、役を演じる、舞台と観客という構造、について言及しているようで、理知的な側面がある。たしかに人間ドラマはあるが、それよりも構成の巧みさや映画自体の批評をやっている点が優れているのかもしれない。賢い映画職人がつくった映画という印象。
映画鑑賞の感覚的な側面について
ドライブのシーンと曲は心地いい。特に曲はそれだけ聴いてもいい。イケメンや美女が見れて気持ちいい。無難な綺麗な画面の連続。けっこう普通。でも退屈はしない。